Quest for you~あなたの探求~ほぐれていく私

☆このblogは私が本当の自分に戻る旅を記した記録です☆

《制作×お金》についての幻想を手放し①

ちょっと過去の鉱物作品を見返していて、制作に関して手放したい部分がザワザワと浮き出ていたので書いています☆

 

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私が手放すのは

  1. 余計な想いを取り込んでいた事。
  2. 負担しなくていい部分まで取り込んでいた事。
  3. こういうのは難しいだろう・・って、私が勝手にしていた現実設定。

 

今までも、ただのオンナに戻る道中、↑に挙げた事は手放し続けてきているのですが、今回は《制作×お金》に焦点を当てて、自分の中で、あぶり出しをし始めました。

 

 

●例えば、何かを試作する際の費用について

完成品=クライアントさん持ち(納品するので当然ですが)

試作品=私が負担

 

これ、当たり前にやってました。

 

 

●例えば、額装する作品の費用(展示でも、販売でも)

作品本体=クライアントさん持ち(納品するので当然ですが)

額装にかかる費用=私が負担(作品とセットで込みたいな)

 

これも、結構な割合でやってました。

 

 

●例えば、ネット経由で作品送る際の費用

作品本体=クライアントさん持ち(納品するので当然ですが)

送料=クライアントさん、もしくは私が負担(いくら以上なら送料込とか)

 

これも、ちょいちょいやってしまってました。

 

 

どこかで私が負担しないといけない、それくらいサービスしなくちゃいけない・・という媚びの姿勢。別に負担する事を心地好く私が出来ているなら、全然問題無いんです。気にならない時もあっただろうし。でも、多くの場合は、私の周りには絵を描く人が居ない。だから私が、「これくらいしてあげなくちゃ申し訳ないよね」の媚びの上から目線だったんです。

 

 

で、その元にあるのは《私=価値ない》設定だったんですが・・

 

 

《私=価値ない=私の作品=価値ない》設定

 

私は、作品を額装するフレーム・送料は負担している=額装するフレーム・送料には価値を認めている・支払える、でも、私の作品には価値を認めていない=支払えない、設定だったんです。

 

『で、なんで?』って思うと、額装するフレーム代金は、額縁屋さんに私が支払っている送料は送ってくれる運送会社に私が支払っている

 

 

私が自ら支払っているものについては、価値がある設定で

私が自ら支払っていないものについては、価値がない設定

 

 

私が私自身に支払ってないから、価値を見出せていないんだ。

 

 

 『で、なんで?』って更に自分に問うと、私が認めている価値って、誰かが決めた基準だったんです。額装するフレーム代金は、額縁屋さんが決めた料金設定。送料は送ってくれる運送屋さんが決めた料金設定。

 

《外側の誰か、何かの枠=正しい、従わなくてはいけない設定》だから、私の作品の値段設定も、いつも『他の人だったらどれ位が買いやすいだろう?』とか『他の作家さんだったら、このサイズいくら位の設定なんだろう?』って、外側の基準を追い求めていた。他の誰かと同じ位だったら、私もそれ位して良いよね・・。とか、この位の値段だったら、無理なく買えるよね・・とか。視点が他人。それも、よく分からない他人目線が私の基準・・。

 

私が自分の作品に対する価値を決める基準さえも、私の事(私の作品の事)何にも知らない、ただの他人の基準に沿うのが正しいとして、『私がどうしたいのか』よりも、『普通なら、これくらいが妥当かな?』の枠に、無理やり自分を押し込めようとしてた。

 

 

 

私が、私の設定を、私の作品に対する価値の設定を、外側に投げてた。

 

 

私は自分の作品の価値を認めて無かった。あれだけ自分の時間とエネルギー費やして、繊細な作品作り続けているのに、それがどれだけ凄い事か認識してなかった。こう書くと反感買われそうですが、ただただ自分と向き合って1枚の作品を作る事が、どれだけエネルギー居る事なのか、私は気付いていなかったんです。

 

ワークショップで、参加者の人にコラージュ体験して貰うと、「楽しかったー!」って喜んで貰える反面「グッタリしたー!」とか「疲れた~」って感想もよく貰っていました。普段、じっくり自分と向き合う時間て、皆さん、あまり無い日常を過ごしているかもしれない。正解が無い世界で、ただ自分を信じて、作品をカタチ創るって、結構エネルギー必要で、「私は自分がエネルギー枯渇しやすいな・・」って思う事も多々あるけれど、それって、当たり前だったんだ。むしろ、他の人を見ていたら、「私は意外とタフな方なのかもしれない。。」とも感じました。だって、比べられないんだもの・・他に同じようなコラージュしている人居ないし・・。自分の価値もエネルギーの耐久性も分からなかった。

 

 

 

で、、外側の基準に私の作品の価値を投げている間、私は自分をずっと置き去りにしていたんです。『普通だったら?』とか『他の人だったら?』とか『このサイズだったら?』とかって自分の価値の正解を、外側求めていたけれど、意識を向けるのは、そっちじゃなくって!!

 

『自分の分身みたいな大切な我が子である作品を、大切に扱って貰うには、どれくらいが満足?』『いくら位だったら、私はときめく制作が出来る?』って、自分に問う。

 

↑↑↑そこを、きっちり向き合わなかったので、私の中の設定が【世の中は絵を買うとか一般的で無いし、安く大量生産したら稼げる=◎】みたいな図式になっていたんです。外側の枠で、お金の流れを捉えていた。

 

この《制作×お金》は、お金の事を考えなかったら、全力投球出来るけど、これ位って枠を感じ出すと、私は全力投球出来なかったりして・・まだ自分の中で、落ち切っていないのですが・・むしろ制作中はお金を度外視してるので、考え出すと上手く出来ない・・。。

 

でもでも、肝心なのは、絵を描いている、制作をし続けている私が存在し続けている事だよね? そもそも私が存在しているからこそ、沢山の作品が生み出せているわけだよね?作品も凄いけど(私は自分の作品は凄いと認めてるし)、でも、それよりも、作品を生み出せる私の存在こそが、すごいんだよね・・!

 

 

周りの一般論や普通だったらの枠や、作品の周りの素材やらを優先して、私がいつまでも、尊い自分=作品、に意識を向けなかった事が、上手くいかない設定の根源だったんじゃない?って、今、私は自分に問いているんです。

 

 

私は1作品、10万以上で売った事が無かったんです。

だって、普通、1作品に、10万以上ポンとお金出し辛いだろうし・・って思っていて。(←それ、私の目線だから・・。ただ、単に私が出し辛かったっていうだけだから・・ )って少し前に気付きました。

 

 

私、めっちゃエネルギー使って制作しているよね?

細かな素材、沢山準備して、貼り合わせて、1枚の作品生み出しているよね?

その為だけに、沢山の時間と、私の感覚と、私のエネルギー注いでいるよね?

 

私が一番、自分が生み出す作品の事分かっているよね?

 

 

だったら、私が、私の作品の価値を、きちんと認めてあげないと、誰も分かんないよ!って感じたんです。

 

 今は、今までの自分の設定に気付いて、あぶり出しを始めた所。ここから、どう変わっていくか、また少し進んでみようと思います☆^^

 

 

 

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